<秋の夜の長物語>
(あきのよのながものがたり)
(一)



今は昔、瞻西上人(せんさいしょうにん)と云う
道学兼備の僧が、まだ年若く、
比叡山東谷の衆徒「
桂海律師(けいかいりつし)」と
名乗っていた頃の事。

文武両道で名を馳せていた桂海律師は、
仏道修行に専念する為、
深山のさらに深くに庵を結んで暮らそうと思っていましたが、
俗世を離れがたく、同胞との別れも名残惜しく、
只いたづらに日を重ねるばかりでした。

そのうち、これほどに願っても叶わぬのは、
魔縁が妨げている所為ではないかと考えた桂海律師は、
佛菩薩の擁護を頼みこの願を成就すべく、
石山へ参詣することにしたのでした。

石山へ詣でて七日間、祈祷し続けた桂海律師ですが、
満願の七日目の夜、不可思議な夢を見ました。

佛殿の錦の帳の内より、容色美麗な稚児がひとり現れ、
散り行く花の木陰に佇んでいます。
その艶やかな水干姿は、言い表せないほど美しいのでした。
稚児は、雪の如くに降りかかる花弁を袖に包みながら、
暮れ行く景色に消え去って行きました。

夢より醒めた桂海律師は、
是すなわち所願成就の夢想なりと喜びました。
しかし山へ帰り、道心を発するのを待てど暮らせど、
夢に見た稚児の面影が片時も身を離れず、
いつしか深山に暮らす思いすら失せているという始末。

せめてもの慰めにと、香を焚き佛前に向かえば、
漢の李夫人の反魂香の煙に身を焦がした武帝の思いも身に知られ、
夢にあらわれた神女と契ったという楚の襄王の、
巫山雲雨の歎きも他人事とは思えぬ有様でした。

山王からは、『一人の衆徒を失う事は三尺の剣を呑むが如し』
と悲しみ惜しむ神託がありましたが、
『いかに山王の仰せといえども、命生きてこそ。
今や斯様に煩悩に憑かれ、消え入りそうな身の上、
石山の観音をいま一度訪ね、歎き言を申し上げ聞いて頂こう』
と桂海律師は思い、再び石山へと向かったのでした。

参詣の折、三井寺の前を通り過ぎると、
ほろほろと春雨が降って来ました。
雨宿りしようと金堂へ行くと、
聖護院の庭に老木の桜が色とりどりに、
垣根に余り雲をも隠すほどにそびえていました。
詩心に惹かれ、門の傍らに立ち寄ってみると、
年の頃十六、七ばかりなる稚児がひとり、
御簾の内から庭へとやって来ました。

水魚紗の水干に薄紅のあこめを重ね、
蹴回しの深い袴姿も細やかに、雅やかなるその美しさ。
稚児は、花の枝を一ふさ手折って眺めつつ
歌を詠んでいましたが、
花の雫に立ち濡れたる風情は、これも花かと思うほどです。
やがて、心なき風が戸をキリキリと吹き鳴らした為、
人があるかと怪しんで、花を持ったまま静かに歩き出した稚児は、
長い髪を柳に取られて見返りました。

その容顔を見た桂海律師は、
自分を惑わしていた幻夢の稚児に少しも違わないのに驚き、
今の現に、見た夜の夢もうち忘れて
日が暮れても其処を動く気になれずにいました。
そして、その夜は金堂に伏して、夜もすがら
物思いに沈んでいたのでした。


夜が明けると、桂海律師は再び昨日の所へ行きました。
すると、ひとりの清げなる童が、
盥の水を捨てる為に門の外へ出ていました。

これやもし、昨日の稚児に縁ある者ではなかろうかと
寄って尋ねてみると、
『私はその御方に召し使わるる者で御座います。
あの方の御名は
梅若公と申し、花園大臣殿のご子息です。
偽りのある世とだに、おぼしめさぬほどの儚き御心にて候えば、
一寺の老僧、若輩も先を争って懸想しております故、
門主は管弦や数歌の席以外にお召しになりません。
いつとなく深窓の内に向かって詩を作り、
歌を詠んでは月日を過ごしておられるのです』
と語りました。
その童は、名を「
桂寿(けいじゅ)」と云いました。

桂海律師は、夢と現の面影に、起きもせず寝もせで、
夜を明かしたり日を暮らしたりしていましたが、
聖護院の近くに古い知人があったのを訪ね出して、
何かと足繁く通いました。
そして、桂寿のもとへ語らい寄りては茶香をすすめたり
酒を酌み交わしたりして遊ぶついでに、
色々の贈り物をするうち、
童もその思いの深さに心を動かされたようでした。

さて、『どのように梅若公に思いを伝えたら良いのだろうか』
と律師が問うと、桂寿は言いました。
『まず御文をしたためられては。それを給わりて、申し入れて見ましょう』
かくして、思案の末、このような文を書きました。

しらせはや ほのみし花の おもかげに たちそふ雲の まよふこゝろを

律師からの文を受け取った桂寿は、
さっそく梅若公のもとへ届けに行き、告げました。
『御覧候え、いつぞや雨の夕べの花影にたちぬれて居られた所を、
ある人がほのかに御覧になり、人しれず思い染める色も
はや紅となって、隠しきれぬご様子で御座いまするぞ』

それを聞いた梅若公は、顔を紅潮させ、
すれ違う僧に文を見せじと、慌てて袖の中に隠しました。

桂寿が待っていると、暫らくあって書院の窓より、
返事を書いた文が押し出されました。
とても嬉しく思った桂寿は、文を持って桂海律師のもとへ
急ぎ馳せ参じました。律師は目もあやに喜び、開封すると、

たのまずよ 人の心の 花のいろに あたなる雲の かゝるおもひは

と、まんざらでもない返事が書かれていたのでした。
いよいよ感極まった桂海律師は、立ち帰る気にもなれず、
逢ってもいないのに別れるのも詮無しと、
しばしは近くの宿に留まり、
余所ながら其方のこずえでも眺めて暮らそうかとも思いましたが、
流石にそれは出来ぬと思い直して、
やはり山へ帰る事にしました。


桂寿に別れを告げ帰路についた桂海律師でしたが、
一足歩みては見返り、二足行けば立ち返るといった
行きつ戻りつを繰り返し、
けっきょく戸津の辺りの小屋に泊まる事になってしまいました。
そのように、千引きの縄を腰に括り付けられたような思いで
引き返していると、馬に乗った旅人と行き逢いました。

よくよく見れば、その旅人は三井寺の童であったのです。
律師を追って来た桂寿は馬から飛び降りて、手をとり
彼を傍らの辻堂へ連れて行きました。
何事かと律師が問うと、
桂寿は梅若公からの文を取り出して渡したのでした。
文を見ると、このように書かれていました。

いつはりの ある世をしらて たのみけん 我こゝろさへ うらめしの身や

『御所の傍らに、知己の衆徒の坊が在りますので、
しばらく逗留なさって、御心を掛けては下さりませぬか』
と、童がしきりにいざなうので、
律師は再び三井寺へ向かいました。

三井寺の、とある坊の主に、
所願の事あって新羅明神に七日間参詣するという由を告げて、
桂海律師は留まることになりました。
梅若公も、はや心得たる気色で居りましたが、
逢うことも叶わず、見るにいたわしい様子でありました。
行きては帰り、帰りては行くそのうちに、十日が過ぎてしまいました。

いつまでも長居をする訳にも行かず、
明日は山へ帰ろうと桂海律師が思っていた処、
桂寿の手引きによって、
ついに梅若公と対面を果たす好機が訪れたのでした。
その夜、心浮かれ月が南に巡るまで待ちかねていると、
桂海律師の書院へと、童に連れられて梅若公がやって来ました。

寄り添ってうち傾きたれば、金紗の水干もなよやかに、
嬋娟(せんけん)たる秋の蝉の初元結い、
宛転たる蛾の匂い立つような眉墨、
花にも妬まれ月にもそねまれるような百の顔ばせ、
千ゞのこび。梅若公の美しさは絵に描くとも
筆に及びがたく、語るに言葉もありません。
桂海律師はようやく思い叶って、
一夜の契りを交わす事が出来たのでした。

明けぬと告ぐる鳥の音も恨めしく、
おのが衣々も冷ややかになり立ち別れる際、
梅若公の思う色深く見える様子に、別れて後の面影に
また逢うまでを待つほどの命があるとも思えぬほどでした。

歌の遣り取りをして後朝の別れを惜しみながら、
梅若公を送り出した後、桂海律師は
身に添え触れつる袖の移り香を形見に、
自らも山へ帰って行きました。

比叡山へ帰った桂海律師でしたが、心しおれて、
人が問うても返事もできぬ、意気消沈の日々を送っていました。
三井寺の桂寿はこれを伝え聞いて、
梅若公に語った処、梅若公も、
誠におぼつかなく心苦しい事と思いを募らせて、
くずおれるばかりでした。


そのうちに、訪ってくれる事もあるかも知れないと
暫らくは心にこめて待っていた梅若公も、
あまりに日数が積もるにつれ居堪らなくなり、
桂寿を呼んでその胸の内を告げました。
桂寿は律師から在所を詳しく聞いていたので、
話し合った結果、桂海律師に逢う為、
二人で寺を抜け出して比叡山へ向かう事にしました。

ところが、なにぶん慣れぬ長旅。
梅若公は心身ともに疲れ果て、途中で歩を進める
ことも出来なくなってしまいました。

御手を引く桂寿さえも、くたびれ果ててしまい、
『あはれ。いかなる天魔、化生の物なりとも、
我らをとりて、比叡の山へ上らせてはくれぬだろうか』
と、松の木陰で休みつつ、湖水の月影に
心をいたましめながら思っていると、
どこからともなく四方輿がやって来ました。

輿には、山伏姿の天狗が乗っており、
天狗は言葉巧みに梅若公に近付くと
そのまま、童ともども誘拐してしまったのでした。

<物語(二)に続く>

<参考文献;「室町時代物語大成 補遺一」松本隆信/編 角川書店>